悩める主婦が幸せについて考えるブログ(仮)

40代後半主婦。会社を辞め育児に専念することにした。日々の気持ちや育児メモなどを綴る。

他人に親切にするのが怖い

お久しぶりです。急に書きたくなったので・・。

いままで他人へ過剰な親切をした結果、感謝どころか相手にナメられ裏切られた事がいっぱいあります。

その反動か、今は些細な親切すらやってあげるのが怖い。

 

事例1:

幼稚園の行事での出来事。

会場は園から離れた、非常に分かりにくい場所にあります。

中途入園のAさん親子の事で、クラス役員(学級委員みたいな役割の人)からこんなメール↓が来た。

「誰か、Aさん親子と一緒に行ってくれる方居ませんか?」

(役員が連れてけばぁ?と思ったけど、方角が違うのか、車で行くから連れてけないのか不明)。

 

 → 自分が本来乗る路線バスの停留所よりも相当手前で待ち合わせて一緒に行くことは可能でした(早起きと、運賃を余計に多く払うのは嫌ですが・・・)。

でも、即座に「いいですよ」と言えなかった。(結局他の方が連れて行ったようです)

 

この場合、何が怖かったかというと

  • お礼を言ってもらえないのではないか
  • 会場に着くなり、私の事は無視して「あ、○○さーん!」と別のもっと仲良しなママ友の所に行かれるのではないか
  • お弁当の時、私の事を無視するのではないか
  • 行事中、私に会っても何もなかったかのように振る舞われるのではないか

要は、「行事の最中は私への恩義をずっと感じて、それを私の望むレベルで表現してほしい。それがなきゃやらない」という事です。怖!!

そんな重いリターンを期待されるのは相手にとっても良くないし、返ってこない(当たり前だ)ことで絶望するのは嫌だ。なので快諾できなかった。

「幼稚園の行事にちょっと早起きして運賃を多めに払って新入園の親子を案内するだけなのに、何故そんなにもったいぶるの・・・?」と思われそうですね(^^;)。

自分でも分かってるんです。頭では。でも、そんな小さな親切すら何日も悩むくらいやってあげるのが怖い。リターンがないだけならまだしも、その後相手からの掌返しが怖くてたまらない。

言い訳をするならば、事前に非常に詳細な資料(時刻表、停留所、地図が載ってる)が配られてるので、大人ならたどり着けるはず(私も初めての時は自力で行った)。だから私が無理して連れてく必要はないだろうと思った。

いい大人が「分からないので連れてって」なのと、本人が頼むのではなくクラス役員が呼びかけるのが癪に障った。

あと、連れてくのは私でも、手柄は間を取り持った役員のになっちゃうんだろうなぁ・・。と思うと気持ちよく引き受けられなかった。

 

事例2:

息子を幼稚園に送っていったあと、自宅に戻る途中での出来事。

目の前で自転車に乗ったおばあちゃんが転倒した。駆け寄って「大丈夫ですか」と言いながら自転車を起こした。

同時に、若い女性も駆けつけてきた。女性は手を差し伸べながらおばあちゃんに色々質問をした。どこに連絡したらよいか等、色々テキパキと。

私はどこまで親切にしてあげたらよいか分からず立ち尽くす。せいぜい自転車を通行の妨げにならない場所に移動したくらい。

結局、女性が自転車を押して病院まで付き添ってあげることになった。

本当は「私も付き添います!」と言っておばあちゃんの手を取って歩くのを手伝ってあげた方が良かったんだろうな・・・。

(でもおばあちゃん、腕は痛いけど足は大丈夫そうだった)

親切にするのが怖くて、その場で二人と別れた。女性に「すいません、よろしくお願いします」とだけ言って。(何がよろしくだ?とも思ったけど、無言で立ち去るのも気持ち悪くて・・)

 

→ 実母と約束をしていたけれど、事情を話せば遅くなっても大丈夫だし、何なら病院で合流して息子の幼稚園お迎えまで過ごすことは可能だった。

なぜ付き添ってあげられなかったかというと

  • 貴重な一人時間を返上してまで、他人に親切にしたくない(ずっと家族都合で延期されまくってた趣味のある事を決行する日だったので、どうしてもこの日にそれをやりたかった)
  • 付き添ったあと、いつ解放されるのか分からなかった(受付まで案内してそこで帰れるならまだしも、最後まで付き合わされるのは嫌だ)
  • おばあちゃん本人と家族から感謝されなかったら嫌だ
  • 今後、このおばあちゃんのお世話要員としてアテにされるのでは・・・と勝手な被害妄想で怖くなった(自転車で行動してるという事は近所だろうし)

なんだかんだ言ってるけど、一番怖いのは、おばあちゃんの家族から私が望むレベルの感謝をしてもらえないのではないか・・・という事。

「あなたのおかげで命拾いしました。本当にありがとう」的な最大級の感謝の言葉と、できたら菓子折りの一つでも(←転倒したおばあちゃんを助けたくらいで、普通菓子折りなんて渡さない)。

 

改めて文字に起こしてみるとスゴイね(汗)

どんだけ感謝の言葉に飢えてるんだか・・。

私がした事を、何もなかったかのようにされるのが怖い。スルーされるのが怖い。

 

今まで他人にしてあげた親切が報われなかった事への悲しみ・怒りがずっと消化されずに残っているんでしょうね。

だから、親切にしなきゃ、という場面で過去のことがフラッシュバックして二の足を踏んでしまう。もう二度とあんな思いをしたくないから。

 

で、どうするのか書きながら考えたんですけど

もう、不親切な人間をしばらくやってみる。

ものの加減を知らないので、一回振り切ってみたら、自分が心地よいレベルの親切さが見えてくるのではないかと思いました。

 

以前もこの事で悩んでて「損得勘定をなくさなくちゃ」とか自分に言い聞かせてきたんですが、これは納得がいかなくて自分を抑圧してるようで上手くいきませんでした。

 

こんなふうに試行錯誤して、自分にとって良いバランスが分かったら良いと思います。

生きやすくなりたい・・orz